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まうまうっとねー。

まうまうっとねー。

和泉式部の和歌

和泉式部。
恋に生き、記憶に生きた彼女。
「ちゃんとした和歌の技法にそってというより、心にまかせて詠んだ歌が多いわね」、なんて具合に紫式部にはコメントされているけれども、一筋縄ではいかない奥行きと魅力があることは紫式部もさすがに認めてはいますな。


まずはこの三首。

  物思へば沢の蛍も 我が身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る

  暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月

  なぐさめて光の間にもあるべきを 見えては見えぬ宵の稲妻

 これ三首とも、光明を詠んだ歌ですね。
 なんか、私の心境が投影されているのかしら(苦笑)

一首目は、貴船明神(きふねみょうじん)がこの歌に愛でて、返歌をよこしたという逸話があります。
二首目は、まだ十五歳ほどであった彼女が、我が行く先の不安を感じ、仏の光明に導きを求めるべく、ある上人(しょうにん)に宛てて詠んだというもの。
三首目の歌には、宵の間の物思いの慰めをかろうじて稲光に求めようとしているひとの姿が思い浮かんできます。
夜の光は見えたと思ったらまた見えなくなってしまう、でもまた朝日の見える時はきっとくるはずだ……そんなふうにして彼女も、じりじりと闇夜をやりすごしていたのかもしれない。

彼女は、どんな闇を見ていたのでしょう?

もう一首。

  白露も夢もこの世も幻も たとへて言へば久しかりけり

ほんの少しおつきあいした男に書き送ったこの歌は、
「朝になれば消えてしまう露も、目覚めれば消える夢も、人の命も、一瞬の幻さえも、離れてしまったあなたと私の、恋のあっけなさに比べれば、まだ『久しい』といえますわね」
というんです。
無常の時間感覚に裏打ちされた痛烈な皮肉とうら悲しさをたたえたつぶやき。なによりも、流れるようなたたみかけるような上(かみ)の句が、全てを凝縮して「すべて儚い(はかない)わね」と見切った、彼女の透徹した眼差しを感じさせて、胸を衝かれます。


実際には誰を思って詠んだのかとか、この歌は何年の何月ごろに詠まれたのかとか、そんな「事実」なんて、彼女の「心」にあるものの確かさとあやうさに比べたら、ささいなことじゃないのかな。
そして、きっと、彼女にしか、ほんとうのことは、わからない。
わかる必要もない。
そんなふうにきっと、彼女は詠んでいる。

我が身とわが心に刻まれた「記憶」を確かめながら、
彼女は、夜を昼を、生きている。




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